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November 21, 2004

コミュニケーション力

コミュニケーション力 恋愛も勉強も仕事も、人生のたくさんのことはひととひとのコミュニケーションによって成り立っています。ひとが群れを作って生きる動物である以上は必然的に。コミュニケーションする力がぼくらの人生の質におよぼす影響はものすごく大きい。だからこそ、たくさんの文章や歌は「コミュニケーションがうまくできないワタシ」について語られているのだと思います。相手に感情移入して「わかった気になる」ことがひとの前頭連合野の大切な機能であるにせよ、うまくいかないことはうまくいかない。話せばわかるは嘘だよなー、と本質的な限界にうちひしがれてため息ついてじっと手を見る。そのフラストレーションを原動力にたくさんの作品が生み出されていて受けとめるひとたちの共感を呼んでいる。もちろん、ここで生まれている共感はひとつのコミュニケーションの成立ですから、他のほとんどのことと同様にコミュニケーションも「ある」「ない」のデジタルなモノサシでは計れないもっと連続的なもののはずです。つまり実際には比較的「コミュニケーションが得意な」ひとたちが「ワタシはコミュニケーションが苦手で困っちゃう」と訴えている作品がとても多い。みんな自分が望んでいるほどにはうまくない、と「苦手意識」を訴える時代なのだと感じます。

コミュニケーション力」(斎藤 孝)は、コミュニケーションに対して「得意意識」を持った著者がてらいもなく自慢げにそれを書いている新書です。探せばこういう本もたくさんあるのかもしれませんが、ぼくが読む文章の中では異彩を放っています。それがとても面白かったです。コミュニケーションもキャッチボールと同じように技能であって、上手さも下手さも連続的なもの。それに普通のひとが思っている以上に身体的な能力。だから、そう捉えてトレーニングすれば、プロにはなれないまでも昨日より明日の方が上手くなることはできるよ、と、とても前向き。やはりこれは得意意識のあるひとだけが書ける技ですね。自信は力です。

そういうわけで全般にわりと面白かったのですが、特に共感したのは「過去・未来を見通す」という節です。

ルドルフ・シュタイナーの本を読んでいるときに、人間を種子として見よ、という言葉があった。相手を現在のあり方だけで見るのではなく、その人の遥か過去と未来を見通して見ろ、ということであった。どこから来てどこへ行くのか。どういう過去からやってきて、どういう未来に向かっていこうとしているのか、そういう途上の人として現在の相手を見る。これは一種の宗教的とも言える眼力トレーニングだ。

(略)そのような連続した生として相手を見ること自体が、相手に対する見方を変えるのである。遺伝子という決定的な運命を担う存在として、人間は、その生を生きなければならない。そうした宿命を負うもの同士としてお互いを見ることができれば、コミュニケーションの余裕も変わってくるにちがいない。

うーん、ポジティブです。同じテーマからネガティブフィードバックの袋小路に落ち込んで行って自分の傷を舐める展開もありえるはずなのですが。好きこそものの上手なれ。参考にしたいものだと、ホント素直に思わされました。

投稿者 yam : November 21, 2004 03:13 PM